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たとえば、40代の高校英語教師(妻子もち)。まずまずの人生を過ごしてきたが、数年に一度、自分を見失うくらい没入する女生徒が現れるという。

今がそうなんです。相手は17歳の高校2年生で、授業中に自然に振舞おうとすればするほど、その子の顔をちらちら見てしまいます。その子には下心を見透かされているようでもあり、私を見る表情が色っぽくてびっくりしたりもします

 こんなところに馬鹿がいる、わたしも同じ狢ナリ。このセンセ、自己嫌悪に陥ったりもがいたり、なかなかの煩悩っぷり。その娘のことばかり考え、落ち着かない毎日。長いことオトコやっていると、分かる。一定のインターバルで“そういう時期”がある。

 こういう相談を持ちかけられたら、わたしはひとたまりもなく同意して、一杯おつきあいするぐらいしか能が無い。上から目線で諭すのも、頭ごなしに否定するのも、悟ったように語るのも向いていない。

 だが、流石というかなんというか、車谷長吉氏、想像のナナメ上を行く。「恐れずに、仕事も家庭も失ってみたら」と背中を押す。人の生は、この世に誕生したときから始まるのではなく、全てを失い、生が破綻してからがスタートだという。だから破綻なく一生を終える人は、せっかく人間に生まれてきながら、人生の本当の味わいを知らずに終わってしまうのだというのだ。

 そして、破綻してしまえ、職も家庭も失ってしまえ、好きになった生徒と出来てしまえと焚きつける。「そうすると、はじめて人間の生とは何かということが見え、この世の本当の姿が見えるのです」───鬼か、と思う。